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マキタスポーツ「まだまだ引越したい論」

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 思えば上京してから何回引越しをしただろう。指折り数えてみる。12回だった。多い。なかなかの回数じゃないだろうか。「いや、そんなもん大したことじゃないよ。」とか「凄い!」とか、思う人もいるのだろうが、私としてはなかなかの数字だと考える。何故なら、自らの身に、急激に「引越し人生」が訪れた経験があると記憶しているからだ。それまでの私は引越しとは無縁な人間だった。地べたの作物のように這い出し、そこに根を張った親の庇護の元、ぬくぬくと育っていた。

 最初の引越しは18歳。「俺にはこの田舎はちと狭すぎる。」と思い立ち、上京した時だ。寝具一式と、着る物、当座の生活に困らぬようにと親に持たされた食べ物、あとはギター。そんな状態で先に上京していた兄貴の明大前の下宿へ転がり込んだ。
その後は三軒茶屋へ。兄貴の給料が上がり、少しグレードを上げることが出来た。明大前のボロアパートはネズミや、ムカデが這い回り、部屋は傾き、丸い物が角に集まってしまうような所。それに比べると、狭いながらも新築のワンルームマンションタイプで、シャンプードレッサーなんかも付帯されていた。兄貴まで付帯していたことが気にはなったが、仕方ない、その頃の私は単なるボンクラな大学生、家賃などの経済的な負担を兄貴に任せていた。しかし、生活面の面倒は私が見ていたのだからイーブンだろう。三軒茶屋のマンションは街中に立地していたこともあって心がウキウキしたことを覚えている。当時はバブル真っ盛りだった。

 さて、都合4年間という、大学在学中の期間を兄貴と共にそこら辺のエリアで過ごした後、何故か私は一年間実家に戻っている。ここで3回目の引越し。おそらく、普通はそこで引越し人生を終える人も多いと思う。あるいは、田舎に引っ込んだ後、結婚を機に一、二度あたりが相場じゃないだろうか。しかし私は違った。この後、また東京に戻るのである。
で、4度目。今度は葛飾区の高砂という縁もゆかりもない場所へ越している。当時付き合っていたら彼女がここの沿線に住んでいたからだ。
山梨は東京の西に位置していて、中央線で繋がっている。なので、西東京エリアの方が圧倒的に心が落ち着く。大きな声では言えないが、実は新宿までは“薄めた山梨”だと思っているぐらいで、新宿より先の東側はいよいよ圏外に放り出されてしまった感があり、内心相当に心細かった。だが、「カノジョ」の存在ひとつでそんな得体の知れない場所へと引越したのだ。そんな自分の無鉄砲さを抱きしめたい。
高砂には結局4年は住んだか。件の彼女から別れを切り出されたことで、今度は明大前に引越した。

 明大前?

 そう。二度目の明大前。何をやっているのだ私は。7年ぶり2度目の明大前。甲子園か。振り替えると、ここのあたりから私の引越し双六の進み方がおかしくなってきているのがわかる。
合間に、目指していたバンド活動の失敗があったり、それがダメならと、今度はお笑い芸人になろうとして劇団員になったり、しっちゃかめっちゃかだ。
2度目の明大前の頃にはピン芸人になっていて、貧乏こそが美徳とばかりにアルバイトもせず、エピソード作りに勤しんだ。で、案の定家賃も払えなくなり、そこを追い出される。と、今度はまた兄貴の住んでいた等々力という世田谷のはずれに転がり込む。6年ぶり2度目の転がり込み。違法薬物で捕まりがちな芸能人か。

 そこから先はもう流転、流転の引越しだ。

 板橋の十条→世田谷区梅ヶ丘→町田(結婚)中野区→同じ中野区の中で移転→町田→杉並区。と、このように、あっち行ったりこっち行ったりで、なんの統一感もないし、行き当たりばったりに移転してきている。途中、「結婚」という大きな出来事があり、妻となった女性の地元であったため、そこに根付いても良さそうなのにまたそこから移り住み、都心に戻ったかと思うと、また町田に引越している。なんでそんなことになっていたかというと、その大半を「売れない芸人」という状態で過ごしていたからだと思う。いつの間にか家族は4人に増えた。

 「家族4人!?」

 自分でも驚く。売れない芸人が家族4人だ。2度目の町田なんかで言えば、2人目の子どもを授かったことと、細々あったレギュラーの仕事が無くなり、いよいよ、家族が食い詰めたので公団住宅に引越したのであった。
 たまにある仕事のために都心に出て行くのだが、ギターと衣装を詰め込んだ荷物を抱えての移動がとても苦痛だった。なので「またいつか絶対都心に出てやる!」と闘志を燃やしていた。今考えると、その闘志は実に怪しいものだということがわかる。
 このような流転の人生でも、よかったこともある。それは東京の地にやたら明るくなったこと。そりゃそうだ、これだけ移り住んで来ているのだから。だけど、それがなんだ!!ということも私は知っている。改まって、ちょいとスカした感じに「東京?教えてあげようか?」と言ってみたところで、その実、貧乏を拗らせていたり、「上昇志向」という縦軸のストーリーもこの道程からは感じられない。要は、計画性が無いのである。

 今のところ、杉並の某所でこの私の引越しマップは止まっている。ここに住んでもう10年以上。今まで住んだ中では最長である。閑静な住宅地、閑静過ぎて逆に変態がよく出没する地域だ。辺りには大きな地主の家や、なんだかんだ悪いことをして成功した成金風の家もある、そんな所にいる。でも、自分の意識としては「まだここじゃない。」と考えている。とりあえず「売れない芸人」は脱した、理想だった大荷物を持っての移動も、自分のクルマでの移動によりそのストレスも無くなった。子どもも学校に通って、地域に根ざしている。ここを最後に仕留めて良いではという意見もあるにはあるが、田舎者をナメるなと言いたい。私はまだどこかに越したい。家賃を取れるようなビルでも買ってやるつもりだ。そこの最上階で花壇に水をやりながら、下々に暮らす人を眺めつつ、週末には山中湖辺りの別荘で過ごすのだ。そう、このようなエッセイでも書きながら。だから、そんな将来性のあるこんな私に誰かお金を貸してくれないだろうか?それとよく数えてみたら引越しは13度していた。気がついたが、万事がこのような感じだから、この先も引越しはするのだろうと思う。

著者:マキタスポーツ
1970年1月25日山梨県生まれ。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家。“音楽”と“笑い”を融合させた「オトネタ」を提唱。 また独自の視点をいかした執筆も多く、著作には「一億総ツッコミ時代」「すべての J-POP はパクリである」などがある。今年、自身初となる私小説「雌伏三十年」を発売するなど益々活動の幅を広げている。 俳優としては、映画「苦役列車」をきっかけに、第55回ブルーリボン賞新人賞などを受賞。最近では「前科者」や「劇場版 きのう何食べた?」、「面白南極料理人」など多くの出演作がある。

Twitter:@makitasports
オフィシャルホームページ:https://makitasports.com

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