自動車免許さえあれば何かと便利だと思ってる。
特に僕のような自由業。その自由の意は、自称とも取られがちで、今はどうか知らないが、かつてはビデオ屋の会員になるだけでも「自分を証明できるものは何かありますか?免許証とか?」などと、店員に聞かれ随分、あたふたしてきたものである。
「ないです」と、答えると次は健康保険証。
「今は持ってません」、この時点で店員の頭の中は”この男、アウト!”となっているのだろうが、一応「じゃ、パスポートは?」とムチャなことを聞いては、こちらの返答待たず「ちょっと今回は無理なので次回、パスポートを必ず持ってきてください」などと、空港関係者のようなことを言う。
それでもまだ、手ぶらであればいいのだが、すっかり会員に成れる気で吟味した数本のDVDをカウンターに差し出したあとでの惨事。
「これはこちらで棚に返しておきますので」と親切めかして言われてもなぁ。トボトボ店を出ていく、決して若くない男の後ろ姿は切なすぎる。
”何故、若い頃、クルマの免許を取らなかったかなぁー”とビデオ屋以外でも後悔する場は多々あった。
何もクルマに興味がなかったわけじゃない。古くは小2の時、親父に連れられ観に行った『007/サンダーボール作戦』って映画。登場するセクシー美女に目は奪われっ放しだったけどジェームズ・ボンドの愛車アストンマーティンにもグッときて、その帰り、デパートでミニカーまで買って貰ったくらい。
将来はアストンマーティンに乗るんだと決めていたが、よく考えると僕が欲しかったのは”Q”が改造したやつ。通常のものには秘密兵器は搭載されていない。
”それじゃ、ダメなんだ”
それに親父(クルマの免許無し)が至って心配症で、そんな子供の話にも「事故でも起こしたらどうするんや」と、アクション映画が大好きだったくせに言う。
しかし、母親は僕が中学生の頃、女性ではまだ珍しかったが免許を取った。玄関先の狭いスペースを駐車場に改装したものだから、、その小型車の車体は出し入れの際、しこたま擦られるハメとなった。
それで買い物に出掛けたり、時には学校の遅刻を救ってくれたりした。そのせいで僕はいつしかクルマは運転するものじゃなく、助手席に座るものだと思い込んでしまったのかも知れない。
クラスメイトたちが自動車免許の話をし始めた時も、僕の頭の中は吉田拓郎(当時の表記は”よしだたくろう”)
のことばかり。進学指導の先生に「将来のこと考えてる?」と聞かれ、「シンガー・ソングライターに成ろうと思てます」と、答えるくらいのノイローゼぶり。クルマが入り込む隙などなかった。
その上、上京して初めていい仲になった彼女がクルマを持っていたことも大きかった。サンルーフ付きのやつで色は真っ赤なやつ。
そんなオシャレなクルマの助手席に座る僕(一応、彼氏)。当初は彼女がタバコをくわえると、ハンドル横に装備されたライターをさっと差し出す役だけしかなかったが、その内、カーステレオ(当時はカセットテープ)で流すBGMの選曲を勝手に担当することにした。今で言うところのDJである。
ドライブの前夜、僕はアパートでその作業を行った。
“やっぱ、中央高速ではユーミンの『中央フリーウェイ』でしょ”とか“ラストは彼女の好きなボズ・スキャッグスで”とか、独り言を呟きながらレコードからカセットにその音源を落としていく。
A面B面で90分。ムード作りは僕の手腕に掛かっていると言っても過言ではないだろう。
初回のカセットが思いのほか好評で、気を良くし次は彼女の知らないであろう曲も入れた。
キング・クリムゾンの『ムーンチャイルド』って曲。高速降りて、どっか人気のない場所でクルマを停め、そしてサンルーフを全開に夜景を仰いだ時聞けば、もう二人はメロメロになること間違いなしのメロディである。
カセットに録音しながら、僕はその時の様子を想像してひとりワクワクした。
今、思えばそれで止めときゃ良かった。
輿が乗るってやつか、僕はもう一曲。彼女が知らないだろう、いや、これに関しては全く知らない歌を入れた。
当日、彼女に「どこ行きたい?」と聞かれた。ちなみに彼女は歳上である。
ドライブに出かける時は毎回、聞かれるのだが、上京してまだ2年とちょっと。東京のことなどさっぱりわからない。
「静かなとこ」
そんなぼんやりとした僕の返事に、彼女は少し口元を緩め、アクセルを踏んだ。しばらくして道路の表示に“八王子方面”と書かれてあるのを助手席から見た。
すでに車内には昨夜作ったカセットの音楽が流れている。
「いい曲じゃない。これ何ていうの?」
「これはキング・クリムゾンの──」
予定とは少し場面でかかってしまったが、それも良し。僕は得意気に紹介した。
それから何曲かあって、遂にあの隠れた名曲が──
「何これ!?」彼女は素っ頓狂な声で言った。そして
「私、フォークって苦手なんだよね。何かビンボー臭いでしょ」
アコギと、首に下げたホルダーから切ないハーモニカだけの演奏。僕は思わず
「だよね」
と言って、慌てて歌が始まる前にカーステレオのボタンを押し、次の曲に飛ばした。
もうお分かりだろう。それは僕が高校時代に作ったオリジナル・ソングだったのだ──
だから、もし今、クルマの免許があれば、車内でひとり、じっくり僕の歌を聞き直したいと思うのだ。
(PS.イラストは高校生の頃の僕を描きました)

著者:みうらじゅん
1958年京都府生れ。イラストレーター/エッセイスト/漫画家。
武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。1997(平成9)年「マイブーム」で新語・流行語大賞、2018年仏教伝道文化賞 沼田奨励賞を受賞。著書に「アイデン&ティティ」「青春ノイローゼ」「色即ぜねれいしょん」「アウトドア般若心経」「十五歳」「マイ仏教」など多数。
Twitter:@miurajun_net