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又吉直樹エッセイ「運転免許が欲しい」

又吉直樹エッセイ「運転免許が欲しい」
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 ゾンビ映画を一人で観ていた。映画の主人公である中年の男も私と同じような体勢で呑気にテレビを観ている。
 主人公が暮らす山小屋のような部屋の外で葉が揺れる音がする。彼は「なんだろう?」と一瞬だけ気にするが、自分勝手に「風だろう」と解釈して、またテレビに視線を戻す。

「バカ野郎、死ぬぞ」と彼に忠告してやりたいが、映画の中の彼に私の声は届かない。不穏な音楽が流れはじめる。
「ほらな」と私の頭にはあきらめに似た言葉が浮かぶが、その不穏な音楽を登場人物である彼自身が聞くことはできない。

 彼のことを思えばこそ、言いたいことは沢山ある。なぜ山小屋みたいな場所に住んでいるのか?なぜ一階でくつろいでいるのか?なぜ一人でテレビを観ているのか?
 彼が高層マンションの27階に住んでいたなら、このゾンビ映画の主人公になることなどなかった。仮にゾンビが高層マンションのエントランスまで辿り着いたとしても、オートロックの扉に引っ掛かり、ほかの住人がマンションに入るタイミングでしか中に入れなかったはずだ。

 主人公の部屋の壁に何かがぶつかる音がする。彼は怪訝な表情を浮かべて窓の外を気にする。再び、今度はもっと激しい音がする。ここで彼はテレビの電源を切る。そんなに簡単に視聴を停止できる番組ならば、彼はもっと早くに観るのを止めるべきだった。

 彼は立ち上がり、窓の外を確認するためカーテンに手を伸ばす。その瞬間、窓ガラスが派手に割れてゾンビの上半身が部屋のなかで暴れまわる。
 彼は叫び声を上げ、近くにあった椅子を手に取り、ゾンビの顔面に投げつける。ゾンビは後ろに倒れるが、その背後には無数のゾンビが大挙して押しかけている。彼はダイニングテーブルを強引に引き寄せ、ゾンビが入れないように窓をふさぐと、暖炉の側にあった斧を手に取り、玄関まで走る。
 しかし、玄関の外からも得体の知れない無数の呻き声とドアを叩く音が聞こえているので、慌てて裏口にまわり、急いで外に出ると駐車場に停めてあった車に勢いよく乗り込む。彼は鍵穴にキーを挿し込み、回転させる。だが、車はクスクスクスと嘲笑うかのような音を立てるばかりで、エンジンはかからない。いつのまにか車がゾンビの集団に囲まれる。これ以上、囲まれてしまうと車が発進できなくなる。
 ギリギリのところで太いエンジン音が鳴る。車は一瞬後退してゾンビを振り払うと、弧を描くように勢いよく急発進し、その場から猛スピードで離れていく。彼はかろうじて命を繋いだ。

 ちょっと待って。俺やったらここで死ぬやん。免許持ってないもん。乗り込む車も持ってないし、人の車に乗れたとしてもキーを挿し込む場所を探すだけで1分は掛かる。ハンドルの右下か左下に無かったら、もっと時間掛かる。エンジンが掛かったとしても、その後どうしたらいいかわからん。一応、ハンドルは握ってみるけど、そもそも人生でハンドルを握った経験が、デパートの屋上のパンダの乗り物くらいしかない。あれは乗車する全ての人間をスローモーションの笑顔にする素晴らしい乗り物やけど、スタート地点からゴール地点まで27歩くらいしか進まんかった。もたもたしてるうちに大量のゾンビに囲まれてしまうやろう。車を囲むゾンビ達も半分以上は運転免許を持ってるやろうに情けない。まだ人の感覚が少し残ってるゾンビに「こいつなんで車走らさへんねやろ?」と思われたら恥ずかしい。

 ゾンビ映画の主人公は車で安全なところまで逃げきり、知り合いの家に向かっている。

又吉直樹エッセイ「運転免許が欲しい」

 その時、私の家の窓に何かがぶつかる音がした。きっと、風だろう。ゾンビ映画に集中する。再び、今度は先程よりも激しい音がする。私は映画を停止して、外を確認するため閉めてあったカーテンに指を掛けた。その瞬間、ゾンビが窓ガラスを割って、頭から部屋に突っ込んできた。ゾンビは倒れたまま床にぶつけた自分の肘を見ている。逃げるなら今しかない。

 でも、ちょっと待って。高層マンションではないけど部屋は三階やで。一階で悲鳴あがって徐々にゾンビの脅威が近付いてくるなら納得できるけど、なんで初めから狙い定めてたみたいに飛び込んできたんやろ。
 靴をはいて階段を駆けおりる。二階に住む家族の部屋からは楽しそうな笑い声が聞こえている。
 ふと、「さっきのゾンビ一体だけなんかな?」と思う。そうやとしたら、「はぁはぁ」息吐きながら階段駆けおりたん無茶苦茶恥ずかしい。マンションの外に出て、一旦落ち着いてみる。

 そしたら、やっぱりゾンビが何体か呻き声をあげながら角を曲がってきたので、「そうやんな」とつぶやいて走りだす。
 私だけがゾンビに追われているのかもしれないし、みんな追われているのかもしれない。まだ解らないから、とにかく走って逃げる。

 私は運転免許を持っていないから、走って逃げるしかない。こんなことなら運転免許を取得しておくべきだった。教習所にはヤンキーが多いイメージがあり躊躇ってしまったのが間違いだった。ヤンキーなんてゾンビと比べたら全然怖くない。後悔しても仕方がないが、運転免許をめぐる取り返しのつかない過ちが次々と脳裏に浮かぶ。

 10代の頃に付き合っていた恋人が合宿で免許を取ろうとしていたのを猛反対の末に阻止したことがあった。「合宿なんて免許取りに行くとこやなくて、恋愛しにいくとこやから」と嫉妬に駆られた私は根拠のない理屈で彼女を責めた。私のような身勝手な男と別れた後、彼女は運転免許を取得できただろうか。もしも彼女がゾンビから走って逃げているとしたら、罪悪感に押し潰されてしまいそうだ。

 私は、本当は誰よりも運転免許が欲しかった。20代の頃はどうだった?

 20代の頃にお付き合いしていた恋人とは一度もデートをしたことがなかった。そんな私の恋人を不憫に思った後輩が「ドライブに行きましょう!」と誘ってくれた。私と恋人と二人の後輩で夏の夜に湘南を目指すことになった。運転席と助手席に後輩が並び、私と恋人は後部座席に座った。好きな音楽を聴きながら車は海を目指して走っていった。
 湘南の海に辿り着いたものの、やることが無かった私達は砂浜に寝転び星を見ていた。初めてのデートで恋人は浮かれていたのだと思う。私達と空の間を一匹の蛾が素早く通り過ぎると、恋人が「あっ、流れ星だ」と言った。すぐに私は「いや蛾やで」と訂正したが、二人の後輩達は「流れ星ですよ!」と恋人の錯覚を暴力的に尊重した。後輩達の優しさはありがたかったが、ここまで付き合わせているという意識が私から余裕を奪っていた。

 私が運転免許を持っていて、二人で砂浜に寝転んでいたなら、蛾の大群が旋回しようとも、「流星群だ」くらいのことは言えたかもしれない。

 運転免許が欲しい。私は車を運転できないから、ゾンビから走って逃げるしかない。知らぬ間に何箇所か噛まれている。
 次々と車が私を追い越していく。私はゾンビのような顔をして走り続けている。

著者:又吉直樹(またよし なおき)
1980年大阪府寝屋川市生まれ。吉本興業所属のお笑い芸人。2015年に本格的な小説デビュー作『火花』で第153回芥川賞を受賞。著書に『劇場』『人間』『東京百景』、せきしろとの共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』などがある。
Twitter:@matayoshi0
YouTube:又吉直樹【渦】公式チャンネル

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